台湾の学校がヤバい?!日本出身の中国人が台湾系の学校で地獄を見た話

はじめまして!Kakuです。

普段は学業で主に社会科学について勉強していて趣味で音楽もやっています。

また個人的にイベント開催・運営もやっていて、そちらではコンピューターに関連したイベントを立ち上げたり運営に関わったりしています。

今回は僕の体験談がメインになりますが”こんなパターンもあるんだなぁ”程度に思ってもらえればそれで十分です。どうぞよろしくお願い致します。

生い立ち

まずお前誰やねんって話ですが、僕自身は東京の生まれで育ちも首都圏の江戸っ子(?)です。両親は中国出身で平成の初めに来日しました。

父親は中国甘粛省の蘭州という所(最近日本でも蘭州牛肉面がブームですね!)の出身で、

母親はたまにニュースでも見かける中朝国境の街丹東出身です。両親は大学で出会い結婚しその後日本に留学してそのまま定住。僕が産まれたというわけです。

ちなみに今でこそ一人っ子政策は廃止されていますが、当時はまだ健在で日本に永住することにした両親はどうしても子供が2人欲しかったそうで、僕には姉が一人います。

学校の素顔

僕が幼稚園を卒園する頃、親に「卒園したら**という学校で中国語を勉強するために通うのよ」と言われました。

まだ小さかった僕はちょっと遠い小学校程度にしか考えてません。毎朝通勤電車に小学1年生ながら一人で乗り、学校に通ったのは今でも思い出深いです。

僕が進学した学校は某所にある台湾系の学校で、小中高一貫の学校でした。

体育館の前には台湾(中華民国)の旗である青天白日満地紅旗と建国の父孫文の肖像画が掲げられ、毎週週二回ある朝礼では「昇旗典礼」と呼ばれる旗を掲揚する式典があります。

僕がいた頃は週三回の月水金に全校生徒が集まり、それぞれ日本語・中国語(台湾国語)・英語の教科書をその場で選ばれた生徒が全校生徒の前でスピーチをするという教育でした(もちろん事前に範囲が指定されて文章を各自で覚えます)。

選ばれた生徒がスピーチをするわけですが、低学年の子がうまくスピーチできればたまに校長から図書カードがプレゼントされますが、暗記できていないと毎日昼休みに校長室に呼ばれて教科書写しをさせられます。

他にも必要な授業以外では日本語禁止だったり中々ハードなきまりもありましたが、

基本的にほとんどの生徒が華僑なのでアットホームな感じだったと思います。

そこそこ平和だった学校生活前半

僕がこの学校に入った当初(小学一年)、中国語が通じるということもあってすぐ馴染め、勉強も学年で(一学年一クラスでした)できる方で”僕自身”に何かトラブルがあった訳ではありませんでした。

大陸系の子がそもそも僕を入れても片手で数えられるほどの数だったのですが同じクラスに僕と同じく大陸系の子が一人いて、その子が要領の悪さから同級生からのいじめにあっていました。僕こそいじめには加担していなかったものの見てみぬふりをしてしまい今でも何かその子の為にやればよかったと今でも後悔しています。

台湾系の学校ですから学校では台湾国内と同じような教育を受けます。

しかし小二に上がる頃になると小学生ながら異国の地である日本にいると日本での台湾と中国の扱いがどうも教えられてきたものと違うぞと意識し始めるわけです。

学校では台湾は国であると教えられます。

僕は大陸系ですので「台湾は中国の一部である」と家で教えられますが、当然学校では受け入れられません。

学校でこの話題が上がると僕のような大陸系の子と圧倒的マジョリティである台湾系の子達の間で言い争いが起きるのです(小学校低学年とは思えない図ですね)。

僕は思っている事を素直に言うタイプなのでそんな僕に女性の担任の先生が喝を入れます。「我々はもう独立した。もし台湾が中国の領土だと思うのなら別の学校に行きなさい(原文そのまま訳)。」。そこから地獄とも言える生活が始まることになります。

よく聞くイジメとは”格”が違かった後半二年間

先生から”排除”されたその辺りから僕に対する風当たりはどんどん強くなっていきます。

その頃僕は三国志が大好きでしょっちゅう三国志に関する話をしていました。

客観的にみれば別にヘンな趣味ではありませんが周りは「先生からどつかれた人」というフィルターを通して僕のことを評価するため極端に変わり者扱いされ、いじめられます。

たとえば「〇〇(筆者の名前)菌がついている!」とノートやプリントを配るときに僕のだけツマむようにして配られます。休み時間に僕を揶揄するような数秒の変な歌まで作って歌い、それに僕が怒るとますますエスカレートしていきました。

これだけならどこにでもありそうな話ですが、僕の場合は”先生”からもいじめられていたという点です。今でも覚えているのがあるのでいくつか挙げてみましょう。

授業中に手を上げても指してもらえず、自由回答形式の手を挙げた人は基本全員指す形の場面でも「他にない?」と先生が言っていて僕が手を挙げているのにもかかわらず無視され、先に進められます。

テスト返しの際には他にも字が汚い人がいるのにもかかわらず僕のだけクラス全員の前で定期テストの答案をビリビリに破られたこともありました(小学一年から定期テストがありました)。

確かに僕が少しやんちゃな子ではありましたがさすがにやりすぎです。

元々少し他と違う子を「あの子は大陸人だ」というバイアスがかかることで僕が極端に”排除”されるようになったのです。

いじめを受けていたこと、中学受験をするので通学するのに不都合ということで結局退学して地元の小学校まで転校しましたが、そこではむしろ僕が外国語ができるということで先生は僕の事を褒めてくれ、中国から来た子が編入したときに通訳として重宝されました。

同じ「ほかとは違う」でもここまで身を取り巻く環境が異なるのかと子供ながら意識させられました。

さいごに

ここまでずいぶんと暗い話が続きましたが僕は台湾が大好きです。

食べ物、特に屋台の小吃(シャオチー)はおいしいですし、人も親日的で本当に台湾は素晴らしい所です。

しかし歴史なので仕方ないとはいえ台湾と中国の軋轢によって僕みたいなケースがでてしまい、ただのおチビである僕が不愉快なことを体験してしまったのは非常に残念です。

台湾自体も本省人と外省人の対立や台独問題(台湾独立運動)を抱えており、到底一筋縄ではいかないのも事実です。

無理に統一しろだとか、現状維持だとかは僕からは無責任過ぎて言えません。

ただ、将来両岸の関係が良くなって僕みたいな子が二度と出ないように祈るばかりです。

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